五月人形の意味!金太郎の武者人形・戦国武将の鎧兜・張子の虎は?
「こどもの日」「端午の節句」ですね。
5月5日は、この日は、男の子の健やかな成長を願う日です。
数日前から男の子のいるご家庭では、鯉のぼりや五月人形の内飾りなどの準備で大忙しでしょうね。
この内飾りの種類には、 武者人形や鎧兜、張子の虎などがありますが、それぞれの意味や由来をご存じでしょうか?
そこで、今回は五月人形の意味についてご紹介します。
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五月人形の意味・金太郎などの武者人形は?
五月人形には、いろいろな人のモデルがありますが、その中でも人気筋は 「武者人形」ではないでしょうか。
「勇ましい男の子に育ちますように」といった意味が込められており、親としての願いが込められている作品です。
その中でも、人気なのが 「金太郎」です。
「足柄山の金太郎~♬」という唄でも有名ですが、本名は「坂田金時」という実在の人物の幼名です。
金太郎は、現在の神奈川県の足柄(あしがら)山の山姥(やまうば)の子で、山中で生まれ育ち、全身が赤くて太っており、怪力を持った子供でした。
友達は熊・鹿・猿などで、いつも鉞(まさかり)を担ぎ、腹掛けをかけ、相撲や乗馬が好きだったといわれています。
子供の頃からワイルドだったんですね。
大人になって、 源頼朝に見初められて家来になった坂田金時は、四天王といわれる従者の一人となり活躍した武将になりました。
そんな金太郎時代の野生児あふれる姿が、男の子のあるべき姿と重なって武者人形としても人気を博しているようです。
五月人形の意味・戦国武将などの鎧兜は?
鎧・兜を飾るというのは、 武家社会の風習が基になっています。
武士の鎧や兜は“戦争道具”というイメージがありますが、武将にとっては自分の身を護る大切な道具であり、シンボルとしての精神的な意味がある大切な宝物でした。
その、鎧兜が、現在では“ 身体を守る”ものという意味が重視され、「交通事故や病気から大切な子どもを守ってくれる」という願いを込めてられるようになりました。
定着したのは江戸時代からです。
江戸時代の庶民達が、武家社会の風習をまねて家の前に棚を作り、鎧兜の作り物や槍、幟などを飾ったことがはじまりです。
ところで、今、名将の甲冑が人気です。
全国的に五月人形としての一番人気は、伊達政宗です。
戦国時代の初代仙台藩主で、子供の頃病気で右目を失明したため独眼流政宗と称された名将です。
大変に派手で服装も凝っていて、また、突飛な性格な人だったようです。
兜正面の三日月型の飾りが、歴女の間でも人気みたいですね。
そして、徳川家康、上杉謙信、織田信長、武田信玄、真田幸村、直江兼続などお馴染みの武将が続きます。
いずれにしてもご当地の戦国武将の兜は、その地方では五月人形として圧倒的な人気を誇るようです。
五月人形の鎧兜は 「身を守るお守り」という考え方からすれば、全身を防護する鎧が本式で、兜は略式という考えも成り立ちます。
また、鎧は具足ともいい、「具足とはすべてを具えている」という意味なら、長男の飾りに相応しいという考え方があります。
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五月人形の意味・張子の虎は?
端午の節句の飾りの一つに 「張子の虎」があります。
これは、赤べこの虎バージョンのような形をしていて、中が空洞の虎の置物で、首がゆらゆらと動く仕掛けになっているものです。
関西地方を中心に多く見られます。
そもそも虎は、「龍虎」といわれるように、龍と並んで神様の使いを意味する尊い動物でした。
古代中国では、 「四神」という霊獣の1つとされており、現代の神社・仏閣でもよく用いられているモチーフです。
日本では、戦国武将、武田信玄が「甲斐の虎」と呼ばれていたこともあり、虎は勇猛果敢である象徴と考えられていました。
さらに、虎の骨は薬として用いられ、魔除け・厄除けの意味があるとして尊ばれていました。
このようなことから、端午の節句に男の子の健やかな成長を願い、縁起物として作られたのが、虎の飾り物「張子の虎」だったのです。
張子の虎は、職人が一つ一つ手作りしているものがほとんどで、表情などが全て違うことが特徴で、広く愛されています。
親の願いが込められている五月人形には、いろいろなエピソードがあるんですね。
人形にしても、鎧や兜にしても、きっと願いを受け止めて子供たちを守ってくれることでしょう。
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