七五三の千歳飴の意味と由来!食べやすい切り方・食べ方は?
七五三ですね。
毎年11月15日は、子どもの成長を祝う行事、この日を中心として、地域の神社やお寺では晴れ着を着た子ども達の姿を見かけます。
ところで七五三といえば、セットになる千歳飴がありますね。
この飴、実に食べるのが大変で、子どもの頃食べるのに一苦労しませんでしたか?
今回は、そんな七五三の千歳飴の意味や由来、切り方・食べ方などをご紹介します。
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七五三の千歳飴・どんな意味が込められている?
そもそも七五三の発祥は、天和元年11月15日(1681年12月24日)、 徳川五代将軍・綱吉が長男の徳松の健康を祈って始めたとする説が有力です。
関東から京都や大阪を経て、次第に全国に広まりましたが、千歳飴とは元来、「子どもの長寿」を願う意味で、七五三のお祝いの時に食べられていたものです。
というのも、江戸時代では人々の平均寿命は30~40歳で、子どもの頃の死亡率も高かったのです。
そこで、3歳、5歳、7歳という節目に、親が我が子の長寿を願って 「お祝いの儀式」を行うとともに、縁起物となる飴を用意していたようです。
もともと千歳飴の「千歳」とは「千年」を意味するもので、転じて「長い年月」を表し、長さ1メートル弱の細長い飴を「長生きできるように」と、我が子に与えていたとされています。
江戸時代では、 砂糖自体がなかなか手に入らないものでしたので、大変貴重なお菓子でしたが、親は子どもの節目の儀式に当たり、滅多に食べられない飴を楽しませ、栄養を摂らせるという意味もあったのです。
また、配りものとしても活躍したようで、もらった人は老若男女問わずとても喜んだそうで、現在の「内祝い」の贈り物と同じような存在でした。
七五三の千歳飴・発祥の由来は?
この千歳飴発祥の由来には主に2つの説があります。
江戸時代の元禄宝永の頃、浅草の飴売りの七兵衛さんという人が、 「千年飴」「寿命糖」などの商品名で売り出したのが始まりとされる説。
もう1つは、大阪の商人が江戸に出てきて「長い千歳飴を食べると千年もの長寿になる」とのキャッチコピーで売り出したとの説もあります。
つまり、東京発か大阪発かで分かれていますが、浅草の七兵衛さんの話が有力視されているようです。
七五三の千歳飴・袋にも意味がある?
千歳飴の 袋の表をよく見て下さい。
そこには、松竹梅や高砂の尉(じょう)と姥(うば)、鶴亀等が描かれています。
いわゆる「縁起が良いもの」「長寿を連想させるもの」といった意味で描かれているのです。
現在では、そのデザインをダウンロードできるサイトもありますね。
コピーして袋に貼り付けることにより準オリジナルの袋ができますので、試してみるのも良いでしょう。
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千歳飴の切り方や食べ方は?
一見、硬そうで切りにくい印象もありますね。
包丁で切りづらい場合は、 「キッチンばさみ」を使ってみて下さい。
意外と簡単に切れますし、力もさほど要りません。
また、切るというよりも、「割る、砕く」という方法も覚えておくと良いですね。
【上手な食べ方は?】
「長い飴を切って食べるなんて縁起悪い」と思われるかもしれませんが、それは、あまり気にしなくても良さそうです。
長いままだと食べにくいですし、当然飽きてしまいますよね。
そこで、上手な食べ方(利用の仕方)を、4つほどご紹介します。
1.一口サイズに割って食べる
いつでも、ちょっとつまんで楽しむことが出来ます。
2.レンジでチンしてお菓子の飾りに利用します(キッチンペーパーを使用します)
和菓子や、ケーキの上に載せるとかわいいと思います。
3.キャラメルクリームにして利用する。
水と生クリーム、または、牛乳、バター等を混ぜて煮ます。
パンやアイスに塗ったりと、意外と活躍しますよ。
4.煮物のお砂糖代わりに使う。
色のついていない飴は、こくが出ておいしく仕上がります。
せっかくの千歳飴なので最後まで食べ尽くしたいですし、そうすることで本当の意味で長寿になるような気がします。
老舗のお菓子メーカーである不二家では、ミルキーを棒状にして「千歳飴」として販売していますので、利用してみるとお子さんも大喜びかもしれませんね。
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